武蔵国(東京)の中心は「府中」だった!
筑波大名誉教授、谷川彰英先生の大ヒット作『地名の由来』シリーズ、東京・江戸編から「府中」の項をご紹介いたします!
この大國魂神社の境内一帯が武蔵国の国衙(こくが)が置かれたところだと推定されています。
武蔵国・国分寺まで約三キロの位置にあり、十分うなずける説です。
神社で購入した本によれば、この神社の創立は景行天皇四一年(一一一)となっていますが、ほんとうでしょうか。律令時代になって都から国司が着任するようになると、武蔵国の著名な六つの神社を合わせて祀るようになったといいます。簡単にいうと、国司がもってきた学問と宗教は仏教。それは外来の宗教であって、もともとそれぞれの地域に根づいていた宗教に礼を尽くすことが求められましたが、その都度地元の多くの神社に参拝することは不可能なので、六つ程度の神社をまとめて参拝するようになりました。これが総社もしくは惣社です。「そうじゃ」もしくは「そうざ」と読みます。
大國魂神社は、一之宮であった小野神社(多摩市)に始まり、二之宮・二宮神社(あきる野市)、三之宮・氷川神社(さいたま市)、四之宮・秩父神社(秩父市)、五之宮・金鑽(さな)神社(埼玉県児玉郡)、六之宮・杉山神社(横浜市緑区)を総合した総社でした。六つの神社を集めたので「六所明神」「六所宮」とも呼ばれます。
神社の正面の鳥居の前を横切るように走っているのが旧甲州街道。日本橋を出てから内藤新宿を通って、甲府から下諏訪に抜ける街道です。鳥居をくぐって左にしばらく行くと、府中高札場跡が残されています。甲州街道と鎌倉街道の交差する地点です。
ケヤキ並木と大國魂神社の境内……。しばし、現世を忘れて歴史の彼方に心を投じてしまいます。
<『東京・江戸地名の由来を歩く』より ①>
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